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山形日記

さくらんぼ明治元年から北海道に

北海道さくらんぼ 佐藤錦 紅秀峰

はじまりは旧幕府軍との開墾条約


箱館戦争とは、江戸時代最後の年の慶応4年(1868年)から、2年間にわたって全国で起こった戦い「戊辰戦争」の、最後の戦いのことです。戊辰戦争は、開始した慶応4年(明治元年)の干支が戊辰だったことで名付けられ、京都での「鳥羽・伏見の戦い」から始まり、東北や会津など全国のあちこちで戦いを繰り広げました。

 

戊辰戦争の終局に、榎本武揚を中心とする旧幕府軍は蝦夷地へ向けて出帆。榎本らは七飯の北隣となる森町へ上陸。蝦夷地上陸の趣旨を五稜郭へ伝達するため先方隊を送るのですが、七飯町峠下で新政府軍と衝突し、箱館戦争が勃発します。

 

ドイツ(プロシア)人、ガルトネルは、この時局に五稜郭を占拠した榎本らと「七重村開墾条約」を結び、西洋農法を日本人へ教授することと引き換えに、七重村とその近郊の土地300万坪を99か年借りることに成功し、ようやく農場を開設します。

 

五稜郭 函館 北海道

函館戦争の終盤はここ五稜郭周辺が戦場となる


 

日本のさくらんぼ栽培のはじまり


明治元年(1868)、ドイツ人のガルトネルが北海道の七飯町に6本の苗木を植えたのが、日本のさくらんぼのはじまりと言われています。さくらんぼは、バラ科の果樹で桜桃(おうとう)とも呼ばれています。

 

果実は、赤くて丸いものがほとんどですが、黄色や黒紫色などいろいろな品種もあります。日本で栽培されている生食用のサクランボのほとんどは、甘果おうとう(セイヨウミザクラ Prunus avium)に分類されているものです。

 

さくらんぼは、北海道の冷涼で寒暖の差が大きい気候によく合い美味しく育ちます。

また北海道は冬の厳しい寒さのために病気や害虫が少なく低農薬での栽培管理が実現できるのです。

 

ガルトネル ドイツ人 プロシア

ガルトネルは、日本に初めてのサクランボの苗木をもたらす


 

さくらんぼ苗木を取り寄せる


洋種果樹が入ったのは明治に入ってからで、明治元年プロシヤ人ガルトネルが現在の七飯町に土地を租借して農場を開き、ここに母国から果樹苗木をとり寄せて植付けたのが最初で、りんご、なし、ぶどう、おうとう、すもも、小果類が導入されました。

 

ガルトネルの租借地は明治三年に返還され、一時移民が耕作していましたが、明治六年に七重官園として新発足しました。後の農業試験場「官園」となります。

 

その際、ガルトネルが植付けた洋種果樹としてりんご68本、なし282本、すもも71本、おうとう6本、ぶどう6本、カーランツ19株、グースベリ2株がありました。

ガルトネルが導入した果樹類は定着しませんでした。それらは全て母国のドイツから輸入したためで、ヨーロッパの夏に乾燥した気候の下で育成された品種は日本の夏の湿度の高い風土に適合しなかったからと思われます。

 

北海道の果樹

北海道は西洋フルーツが一番初めに植えられたところ


 

ガルトネルの失敗の後に


北海道の果樹栽培の実質的な発達は開拓使が米国人顧問ケプロンの献策に基き、主としてアメリカから各種の果樹を導入して、普及奨励に努めたのにはじまるということができます。

 

明治2年設置された北海道開拓使は、黒田次官によっていわゆる開拓使10年計画がたてられました。北海道の拓殖事業を効率的に進めるには、海外の先進地から有能の土を招聘して、その進んだ知識技術を取入れることが重要と考えました。

 

明治4年1月、 黒田次官は自ら渡米し グランド大統領に面接し、その推挙によって時の農務長官ケプロンを開拓使顧問に迎えることに成功しました。この時米国から持ち込んださくらんぼの苗はいま日本のさくらんぼの品種改良に使われました。

 

ナポレオン さくらんぼ品種

品種ナポレオンは佐藤錦の親になる、明治8年頃に北海道から山形に


 

北海道開拓の計画が立案される


 ケプロンは同年8月、40余名の部下を引つれて赴任、黒田次官の10年計画の立案実施に参画、北海道開拓の各分野に大きな足跡を残して明治8年に帰国しました。

 

ケプロンは来朝するや直ちにアメリカから引つれてきた2名の技師を道内各地に派遣して現地調査に当らせ、その報告にもとづいて翌5年1月、開拓施行についての意見書を提出しました。その中で果樹についてはわが国の気候風土が果樹栽培に好適しており、北海道のみならず広く全国に栽培するようにすすめています。

 

さくらんぼ果樹園 余市町

余市町のさくらんぼ園今ではたくさんの観光客でいっぱい


 

維新で刀を鍬に持ち換え果樹栽培


明治期に北海道へ移住した人の多くは、廃藩置県によって拠り所をなくした士族(武士)でした。明治政府の殖産興業政策は、時代の変革により職を失った彼らを救済することにも繋がりました。北海道に限らず、全国的にみても元武士が果樹農家へ就農する例はこの時期に多く、日本においては、西洋果樹栽培の黎明期ともいえます。

 

開拓使の官園では、育成した苗木を配布し、生産者を増やす役割も持っていたため、こういった転身を後押しし、生産者を増加させることでも、殖産興業の推進を図りました。

 

 また、内務省でも明治7年からフランスからりんごを輸入し、各県へりんご苗木の無償配布を通達します。これにより、東北地方を中心に全国へりんご栽培が一層広まることになりました。このように、明治政府は近代化を推し進める中で、果樹栽培に新たな産業の可能性を見出したのです。

 

黒田清隆と榎本武陽

北海道の開拓にゆかりの黒田清隆と榎本武陽


 

果樹の黎明期を支えた武士たち


明治期に北海道へ移住した人の多くは、藩を取り上げられ、職をなくしてしまった武士たちでした。この時期の明治政府の殖産興業政策は、時代の変革により職を失った彼らを救済することにもつながりました。北海道に限らず、全国的にみても元武士が果樹農家へ就農する例はこの時期に多く見られていたのです。

 

西洋果樹栽培の黎明期の試験場である官園では、生産者を増やす役割を持っており、こういった武士からの転身を後押しして生産者を増加させることでも、殖産興業の推進を図りました。 明治政府は近代化を推し進める中で、果樹栽培に新たな産業の可能性を見出したのです。

 

葡萄畑 ワイナリー

仁木町に広がるブドウ畑ワイナリーも増えている


 

北海道の果樹栽培のはじまり


明冶初年北海道に果樹が輸入されて栽植がはじまり、道内各地に各種の果樹が植えられました。そこで育つものと適さないものが次第にわかってきました。初めは家庭果樹として植えられたものも、見事な結実が見られるようになると、作物として栽培が行われるように進んできたのです。しかし、多くは失敗に終わったようです。

 

栽培者が多くなるにつれて、栽培技術や病害虫の防除に次いで販路等について、歩調を合せて研究する同志を求めるようになりました。そこで、札幌農学校を中心とする札幌周辺の果樹関係の有識者や栽培者が期せずして集まり北海道に果樹協会を発足させる事になったのです。ときに明治24年10月4日のことでした。

 

北海道果樹協会は、明治の初期に日本で初めて北海道に「りんご」が植えられてから150年もの長い歴史とともに、果実を作る生産者の団体として活動しています。 道内15支部、約700戸の果樹農家で構成されており、主に研修活動や新品種の導入消費者との交流会を実施しています。

 

ワイナリー

広大な敷地の余市のワイナリー


 

北海道開拓の始まりも明治から


明治期の急速な近代化は、国土を守るために軍事力を強化する「富国強兵」と、産業を発展させる「殖産興業」の二本柱で進められました。特に、農業を中心とした産業の西洋化は、開拓使の10ヵ年計画により北海道の開拓を最優先させながら、全国へ展開していきます。そこで設けられたのが、官営の農業試験場である「官園」なのです。

 

ここは、御雇外国人と呼ばれる先生から、プラウやハローの使い方、一次産業で得られた原料を加工しバターやチーズなどの製品を生産する術を学ぶ機関でもあり、七飯町のほか東京・札幌・根室に設置されました。

 

さくらんぼ県別生産量

さくらんぼの生産では山形県は全国トップのシェア75%


 

北海道のさくらんぼ生産は全国2位


北海道のさくらんぼ生産は、山形県の1位に次いで全国2位の生産量を誇る、さくらんぼの名産地です。 年間を通して涼しく、乾燥した気候はさくらんぼの栽培に最適といえます。

 

 また冬の厳しい寒さから病害虫の発生も少なく、元気で健やかなさくらんぼを多く育てることに成功しています。さくらんぼ以外では、「りんご」や「ぶどう」、「すもも」をはじめとした様々な種類の果樹や、ハスカップ、ブルーベリー、アロニア、シーベリーなどの小果樹も栽培されています。

 

いずれのフルーツも冷涼な気候のもとで栽培されているため、道産の果樹は『農薬の使用量が少ない』、『果実の色が鮮やか』という特徴があります。果樹生産者のなかには、観光農園としてもぎ取りや直販・直売などの取組も増えてきています。

 

さくらんぼ 紅秀峰

北海道のさくらんぼは山形県についで生産量第2位


 

北海道のワイナリー増える


また、近年、道内ではワイナリーの設立が増え、令和6年(2024年)11月現在では71箇所となって、10年前の約3倍に増加しており、平成30年(2018年)6月にはワインにおける地理的表示制度(GI)での指定されました。

 

令和2年(2020年)には北海道のぶどう品種「山幸(Yamasachi)」が「国際ブドウ・ワイン機構」(OIV)の品種リストに、さらに国内外のワインコンクールで受賞されるワイナリーが誕生するようになりました。

 

道内では「ぶどう」の加工専用品種等の「加工仕向量」は、平成10年(1998年)から減少傾向にあったものの、近年では増加に転じています。

 

とともに、加工専用品種等の作付面積は、道産ブドウ全体の約5割(道農政部調べ(R4)、面積は栽培面積)を占めるようになってきています。

 


 

▼明治8年にアメリカから北海道を経て山形に来た品種ナポレオン

 

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