庄内柿の産地はどこですか?
明治23年旧庄内藩の藩士、酒井調良氏が庄内柿の始まりと普及に大きく関わっています。珍しい種なしの柿を知人から譲り受けて、積極的に栽培を始めました酒井氏は庄内柿の普及に大きく貢献し、「庄内柿の父」と呼ばれるようになりました。この時期、庄内柿は「調良柿」とも呼ばれていました。
1909年(明治42年)に、東京大学の原熙教授に渋抜きについて相談し、アルコールによる渋抜きを示唆しました。その後、酒井氏は焼酎を使った脱渋方法の研究を行い、焼酎が最も渋いが抜けることを発見。酒井氏は「アルコール脱渋の考案者」として、果樹園芸の専門書にも掲載されています。
このように、酒井調良氏は庄内柿の栽培だけでなく、脱渋技術の開発においても先駆的な役割を果たし、現在の庄内柿産業の基礎を確立すると言えます。
100年以上前に庄内地方に伝わった庄内柿は、カキノキ科カキノキ属で、種がない品種「平核無(ひらたねなし)」は庄内柿であり主力品種となります。 収穫期は、10月下旬~11月下旬で、山形県内で生産される平核無の約8割が庄内産となります。
庄内柿を開発した庄内藩士のお話し
庄内柿を開発した庄内藩士|味の農園 (ajfarm.com)
▼庄内柿の里 松ヶ岡開墾場
庄内を代表する秋の果実『庄内柿』は、元々の渋柿がアルコールや焼酎で渋抜きされ果実です。濃厚な独特の甘さ適度な歯ごたえ、種がない種なしの食べやすさが特徴の柿です。平核無(ひたたねなし)「種なし柿」としてよく出回っている品種で「庄内柿」や「おけさ柿」とも呼ばれます。種の無い渋柿が焼酎や炭酸ガスで渋ぬきすると見違える美味しさに変身。やさしい美味しい柿に生まれ変わります。柔らかくなったかきは、ヘタを切り取りスプーンで食べたり、そのまま凍らせてシャーベットにしてもおいしく食べられます。
この庄内柿の開発には諸説ありますが、一人の庄内藩士が関わったとされます。幕末に庄内藩は徳川の有力譜代として戊辰戦争を戦い維新に遭遇して戦い破れ政府軍に帰順します。廃藩置県により領地を失った庄内藩は原野を開墾して開墾地とこの柿を開発しました。