人気の山形の在来野菜
「在来作物」は、その土地で長年栽培され、人々に親しまれてきた野菜、果樹、穀類などの作物です。 そしてまた、在来作物は長い間私たちの生活を支え、地域独特の文化を継承する一翼を担ってきました。 庄内地方の鶴岡市では、現在確認されているだけで60品種もの在来作物が受け継がれてきました。
遺伝子的多様性をもつ生物資源としてはもちろんのこと、栽培技術や食文化の継承を担う貴重な「生きた文化財」として、次代に継承するための多様なプロジェクトが進められています。
やまがた由来の伝統野菜
山形には地域の人々が古から守り受け継いできた伝統野菜が数多く残っており、野菜以外のものも含めた在来の作物の品種は150を超えると言われています。しかし、その中には現代の食生活の変化の中で、絶えてしまいそうな危うい環境にあるものもあるのです。
おいしい山形推進機構では、県と協力して、これら「やまがた伝統野菜」の一つひとつが持っている歴史や品種や栽培法などの特長を後世に残したいとのおもいがあります。さらには貴重な資源として再評価して、文化的な価値を全国の人々に、山形の魅力と価値の一つとして伝えることを重要と考えています。
そして、独自性のある種の存続によって山形ファンを増やし、山形の魅力の一つに育ていく取り組みも求められます。
山形に今も多い在来野菜の栽培
山形県には、他県に比べて多くの在来作物が栽培されています。在来作物は、気候、風土、歴史、資源など地域の特色を活かしながら代々受け継がれてきたもので、自然や故郷など心のゆとりを感じさせるものです。
また、その特徴的な形態や品質とともに、来歴やなぜ今日まで栽培されてきたかというストーリー性が魅力となっています。県内で今でも栽培されている様々な在来作物を御紹介します。在来作物や、食文化を通じて地域同士の交流を創りだし、さらには地域を元気にする取組み、食文化の再認識による活性化に進めていきたいものです。
山形の芋煮会とその由来
時は江戸時代、元禄七年、中山町長崎地区から白鷹町荒砥地区までの航路が新設されるまでは物資を積んだ北前船で日本海を渡り酒田港に入り、そこから最上川をのぼります。現在の長崎地区付近が最上川舟運の終点でした。米沢藩が最上川の一番川上になります。
その舟着き場には老松があって、そこが船頭や人足たちの休憩場所だったといわれています。酒田から船で運ばれてきた塩や干魚などの物資はここで降ろされ、徒歩によって、置賜地方へと運ばれていました。
当時は、口頭での連絡手段しか無く、船頭たちは舟に寝泊りしながら、何日も何日も物資の運ぶ人を待たなければなりませんでした。その退屈しのぎのひとつとして発生したのが芋煮会のもとになったものと云われています。
船頭や人足達の楽しみ
舟着場のすぐ近くには里芋の名産地である小塩という集落があるので、そこから里芋を買い求め、舟に積んできた棒だらなどの干物といっしょに煮て、飲み食いしながら待ち時間を過ごしたのです。
その時、そばにあった松の技に縄をつるして芋煮をしたので、この松が「鍋掛松」と呼ばれるようになったとあります。これが中山町長崎地方に伝えられている芋煮会のはじまりと言われています。
里芋は大切な伝統野菜になる
直接に芋煮文化と歴史には関わらないのですが、芋煮会の鍋の中の主役、里芋には各地で食べられてきた伝統野菜の里芋があります。また、限られた地域で受け継がれた在来種で変わらぬ人気を誇っています。
山形市西部の悪戸地区には、幻のさといもと評判の「悪戸いも」が伝わる。粘り気が強いが、舌触りはなめらかでとろけるような食感、長時間煮込んでも煮崩れしないなどの特長があります。
また寒河江市皿沼地区で、江戸末期から受け継ぐ「子姫芋」があります。福島県会津地方から、土垂系の種芋を取り寄せて始めたといいます。ねっとりとしてなめらか、里芋本来の味わいとして人気です。
生産者団体が品種改良まで
以前は生産者が個別に種芋を保存していたが、近年生産者組合を組織して団結し、より良質の子姫芋作りを目指しています。注目されるのが、西村山地域の新ブランド「つるり」です。土垂の種芋を室内で培養増殖し、畑では苗から育てるという独自の栽培法で作ります。
これまでより早い9月に収穫できる。調理しても煮崩れせず、粘りや硬さ、甘みのバランスが良好。さらに貯蔵性に優れ、味が落ちないなど、消費者から好評を得ています。
▼在来野菜だだちゃ豆の定植