日本のりんごの始まり
りんごは日本では植物学的にはセイヨウリンゴと呼ばれ、世界では数千年前から栽培されている果樹。栽培面積も多く、単位当たりの収穫量も多い果物であることから、現在では木になる果物としては世界で一番生産量が多い果物です。
現在、世界一の生産量を誇るりんご品種「ふじ」は、かつて青森県にあった農林省園芸試験場東北支場(現 農研機構果樹研究所)が育成し、1962年(昭和37年)に、藤崎町の町名などにちなんで命名・品種登録されたりんごの品種です。
ふじの誕生から世界へ
「ふじ」は、当時の主力品種に比べて抜群の食味を示し、実も硬く締まり、貯蔵性も良いことから、品種登録された直後から、高値で取引され、わが国で順調に生産量を増やしました。
そして、生産量のシェアは1977年(昭和52年)には約2割、1987年(昭和62年)には約4割、1999年(平成11年)には、50%のシェアを占め、現在もそのシェアを維持しています。また、海外でも広く栽培されており、中国で約6割、米国で約1割、韓国では約7割のシェアを誇っています。
その実績がモノを言い「ふじ」を親にした子供達には、優秀な品種がたくさん生まれています。「千秋」「こうこう」は「ふじ」が父親、「シナノスイート」「北斗」「こうたろう」「ハックナイン」は「ふじ」が母親です。
りんご本格栽培は明治と共に
そもそも日本におけるリンゴのセイヨウリンゴ(ヨーロッパ原産のりんご)の本格的栽培は、北海道開拓使次官であった黒田清隆が1871年に米国から持ち込んだ75品種の苗木に始まるといわれています。
苗木は1874年以降、内務省勧業寮試験場から全国に配布され、各地で実証実験栽培が行われました。これにより栽培適地とされる青森県や長野県等、現在のリンゴ生産地の多くが誕生しました。
リンゴ生産地は寒冷地域が多いため、冷害の被害を受けることも少なくありません。特に東北地方は1930年代に連続して冷害に襲われ、深刻な社会的問題にまで発展しました。
このような状況の下で東北地方のりんご生産の振興が検討され、激しい誘致合戦の末、1938年3月に青森県南津軽郡藤崎町に農林省園芸試験場東北支場が設置。その研究課題を「果樹と野菜の育種」、中でもリンゴの品種改良、育種を最重要課題としました。
国光と紅玉が主力品種だった
当時、我が国のリンゴ品種の主流は「国光」と「紅玉」で、二つの品種の占有率は80%にも達していた。また「印度」を除くほとんどの品種が、明治以降に米国から導入されたものであり、消費者の嗜好性を十分に満たすものではなかったようです。このため、東北支場の第1次品種育成試験の最重点目標は、「日本の環境条件に適合した品種の育成」でした。
試験場は、1938年(昭和13年)4月に開場されました。場所は、藤崎町大字藤崎字下袋の、現在の弘前大学農学生命科学部付属生物共生教育研究センター藤崎農場や県立弘前実業高等学校藤崎校舎、みどり団地がある約18.5ヘクタールの広大な場所です。
試験場で生まれた「ふじ」
園芸試験場では、開場と同時に寒冷地の園芸作物に関する広範な研究にとりかかり、数々の目覚ましい成果を生み出しました。その最大の成果が「ふじ」の育成ということになります。
りんごなどの新しい品種を作るには、おしべから採った花粉を別の品種のめしべにつけ(交配)、そして生まれた果実から採った「種子」を植えつけて、生えてきた小さな木(実生)を育て、その実生や果実の、形や色や味や貯蔵力、木の性質や病害虫に対する強さ、実際の栽培のやりやすさなどの優秀なものを選びます。
さらに選ばれた候補を何年も試験栽培して、いよいよ立派な品種だということになって、名前がつけられ登録されます。りんごの新品種は、気が遠くなるような長い時間とたくさんの人の根気かがいる仕事の繰り返しから生まれるのです。
ふじ「東北7号」の誕生
今や国内生産量ナンバーワンの「ふじ」ですが誕生するまでの先人たちの努力の歴史をご紹介します。
1939年(昭和14年)に開始された育種試験の中で、「デリシャス」の花の花粉を「国光」の花のめしべに交配したものから、後に「ふじ」となる品種が生まれました。この年のこの組み合わせからは274個の果実を収穫し、翌年この果実から得られた2004粒の種子を植え付け、968本の実生が育ち、畑に植え付けられました。
その実生が初めて実をつけたのは1951年(昭和26年)のことでした。そこから、たくさんの試験検討がなされ、1958年(昭和33年)に「東北7号」として選抜されたものが後の「ふじ」になります。
「東北7号」は、研究機関だけでなくりんご農家でも試験的栽培が進められるほどに大きな注目を集め、普及が進んでいきました。
「ふじ」と命名される
今知られている「ふじ」と命名されたのは1962年(昭和37年)3月。全国りんご協議会名称選考会にて正式に命名されました。同年4月に「りんご農林1号」として品種登録され、一躍脚光を浴びました。1982年(昭和57年)にはデリシャス系を抜いて生産高日本一となり、「ふじ」は名実ともに日本一のりんごに成長しました。
「ふじ」の名前は、生まれ故郷の「藤崎町」と日本一の山「富士山」、当時、ミス日本で女優の「山本富士子」にちなんでいるという逸話があります。
「ふじ」は、「東北7号」と呼ばれた頃から注目され普及がすすめられました。これは異例なことで、このりんごへの期待の大きさが分かります。その期待に違わず、1982年(昭和57年)にデリシャス系を抜いて、我が国の生産高第1位となり、名実ともに日本一のりんごに成長しました。
「ふじ」原木の株分け樹
「ふじ」は、色づきがあまりよくないのが欠点でしたが、着色のよい枝変わりが各地で次々に見いだされました。現在栽培されている「ふじ」のほとんどは、枝変わりによるものです。また、マルバカイドウなどに接ぎ木して育てられているので、根は「ふじ」そのものではありません。
藤崎町では、「ふじ」原木の根元から生える、ひこばえを譲り受け、原木の株分け樹として役場前で大切に管理・展示されてきました。現在は県立弘前実業高校藤崎校舎の畑に植えられています。ここ藤崎農場にある株分け樹は、藤崎校舎にある樹のひこばえから育てたもので、2010年(平成22年)に移植されました。根も含めて、育成当時の「ふじ」の遺伝的性質をそのまま受け継いでいます。
ふじリンゴの基本情報
▼11月収穫の晩生種
▼青森県での収穫適期は、有袋ふじが10月末~、サンふじが11月上旬~
▼販売時期 11月上旬~翌年8月まで
(春以降に出荷されるものは、秋の収穫後に鮮度を保持できる専用冷蔵庫に入れて保管されている)
▼母親「国光(こっこう)」、父親「デリシャス」
▼青森県藤崎町にあった当時の農林省の関連機関が育成。
▼350g程度で果皮の色は無袋栽培(サンふじ)の場合紅色に縞が入り、有袋栽培では鮮やかな紅色となります。
▼果肉はシャキシャキとした食感で、果汁が極めて多く、甘酸のバランスに優れています。
▼サンふじ玉廻し作業