ラフランスはフランス原産
ラフランスは19世紀半ば1864年にフランスでフランスを代表する品種として大きな期待を込めて生まれた洋梨を代表する品種です。そのおいしさに「わが国を代表するにふさわしい果物である!」と賛美したことから「ラ・フランス」と名前がついたといわれています。とてもフランスらしいお話です。
ラフランス明治期に日本へ
日本にラフランスが渡ってきたは明治36年といわれています。その後、どのように山形県に伝わったのか不明であるものの山形県には樹齢が100年ほどの樹があることから、100年以上たっているので明治36に日本の導入されて、短期間に山形県に入ってきたと考えられます。
この100年の歴史を持つラフランスですが、フルーツの表舞台に立つようになったのは、ここ10年ほど、それまでの90年間は誰にも全く知られない存在でした。
人気洋なし バートレット
そもそも西洋なしは16世紀頃からヨーロッパのドイツ、イギリスで栽培されはじめ、18世紀のイギリスで洋梨の代表的品種、バートレットが発見されることになりました。これが明治初期、日本に入ってきたといわれています。
ラフランスが山形県に移入される明治36年よりかなり早い時期に山形県では、古くからの和梨の産地である東置賜郡屋代村(現在の高畠町)で明治8年にバートレットの栽培が始められたとされる説があります。
衝撃の味 洋なしバートレット
それまでは日本人は和梨の味しか知らなかったこともあり、その洋梨の実を食べた人の話では、「樹になっている実を食べたらまずくて食べられなかったが、その実が、時間がたつと黄ばんで香りがしてきたので、拾って食べたらおいしかった」といっています。
ようやく「収穫後に数日間追熟させて食べることに初めて気づいた」という笑えない記録が残っているようです。なにしろ未知フルーツといった衝撃があったのでしょう。
ラフランス人気はつい最近の話
ラフランスは明治36年に日本に導入され、ほどなく山形県に入ってきたものと思われています。缶詰用バートレットの黄金時代が100年近くあり昭和60年台にようやく生食用ラフランスの道開けて一躍脚光を浴びるようになりました。
ここまで山形県で洋梨が発展した理由を考えるとき山形県は「内陸型の盆地で雨が少ない」「広大な土壌」と「昼夜の温度差」が大きいという果樹栽培に合致した独特の気象条件があったことは確かです。
全国的に見ても果物栽培に適した独特の自然環境があることが果樹王国やまがたといわれるには、多くの先人の努力があったことも忘れてはなりません。
山形ラフランス 全国の80%
そして、今では西洋梨は生産量が全国第1位。ラフランスは、全国の生産量の約80%を占めています。また、山形県では「食べ頃に近いラフランス」をお届するため、毎年「統一販売開始基準日」を設定し、その日に合わせラフランスを出荷するという徹底した品質管理を行なっています。
ラフランスが多く出荷される時期は10月下旬~12月下旬頃です。
▼ラフランスの収穫作業(山形県天童市)