上記の写真は東根市の大森山から東根市のサクランボ畑を撮りました。白い所がビニールが広がった雨除けハウスです。
山形のさくらんぼの旬は6月から7月です。6月は雨の季節です。梅雨の始まりから終わりにかけて、梅雨とサクランボの旬が重なります。さくらんぼは収穫のころに雨にあたると実が割れたりして商品価値が無くなります。
このためにさくらんぼの生産農家はある工夫をしました。「サクランボの樹に傘のような屋根を架けよう」そうすれば雨が降っても大丈夫だと考えたのです。
完熟佐藤錦の樹に傘?
さくらんぼは完熟で収穫しようとすると実に雨にあたると実が割れたりして品質低下商品価値が無くなります。この頃は湿度、気温とも高くなるので実割れした傷から腐ったり、なかなか厄介なことに。このためにさくらんぼの生産農家はある工夫をしました。さくらんぼを完熟で収穫するために「サクランボの樹に傘のように屋根を架けよう」そうすれば雨が降っても大丈夫だと。
そして、通称「雨除けハウス」というサクランボの樹をビニールで覆う施設が一般的に使用するようになり、さくらんぼ王国山形の発展を支えています。
初夏のくだもの「完熟さくらんぼ」は梅雨のくだものでもあるので、梅雨の克服がサクランボ生産の使命であったことは確かで「雨除けハウス」は先人の知恵によって生まれた優れモノであることは間違いありません。
ちなみに、この雨除けハウスは日が照ると一気に温度がたかくなりますから、樹が弱ることにつながります。ですから完熟サクランボの収穫が終ると直ぐに外しサクランボの樹を回復させないといけないのです。
缶詰用から生食の佐藤錦へ
そして、その発想が具現化して徐々に普及して今ではさくらんぼ栽培には欠かせない施設になりました。通称「雨除けハウス」というサクランボの樹をビニールで覆う施設が一般的に使用するようになりさくらんぼ王国山形の発展を支えています。
初夏のくだもの「さくらんぼ」は梅雨期に収穫するくだものでもあるので、梅雨の克服がサクランボ生産の課題であったことは確かです。
もうひとつの理由は、サクランボの需要が昭和50年代から缶詰加工から生食用に変わってきました。もちろん佐藤錦という品種が主流になってきたことと、宅配便という新しい物流がタイミング的に合ったことも挙げられます。
缶詰加工用のサクランボは完熟よりもまだ固いサクランボの形が崩れない事が優先していました。加工の工程で人工着色させるわけですから色着きも必要としません。
完熟、朝採れ 品質重視に
このような、缶詰加工用から生食用への需要の転換が求められ、品質よりも量とコスト重視だった需要が、この頃から佐藤錦の特徴といえる食味重視の生産が求められるようになってきたのです。一部の生産者は宅配便のおかげで、直接サクランボ販売、産直をおこなう事で顧客と近いポジションでサクランボ生産をするようになって」きます。
生食用のサクランボ、佐藤錦はだんだん美味しさを追求していく段階で完熟の佐藤錦を生産するようになり、その結果、安心して完熟まで樹上で生育できる雨除けハウスが必須の設備となって普及していくことになったのです。雨除けハウスの目的はサクランボの量よりも「完熟と食味」という質をもとめる転換期だったのです。
「雨除けハウス」は生産農家の先人の知恵によって生まれた優れモノであることは間違いありません。生食用の完熟さくらんぼ、佐藤錦などはこの施設が無いと品質を高めることはできません。ギフト用のピカピカの高級さくらんぼができるのもこの雨除けハウスのおかげで、樹上で真っ赤な佐藤錦となる完熟まで収穫を待つことができるのです。
そして、完熟さくらんぼでしかも、朝採れサクランボというニーズで産地直送することが珍しくなくなってきています。
さくらんぼ産地 村山盆地は少雨
サクランボが日本に渡来したのは明治元年のことで、山形県へは明治9年に入ってからと云われています。この時は全国で試作されたのでしたが、山形県以外ではほとんどが霜害・梅雨・台風被害のため失敗したとされていますが、決定的な要因は台風による倒木と梅雨のダメージが大きかったと想像されます。
山形さくらんぼの産地である村山盆地は周囲を高い山に囲まれた盆地で、台風の被害は無く、梅雨期の降水量は県内でも一番少なく、夏の暑さは一番という土地がらです。もともと、梅雨に降水量が少ないことが幸いして、今のような雨除けハウスが無くても、当時の品種「黄玉(きだま)」「ナポレオン」はそこそこ収穫できたたようです。
当時の需要は今のように佐藤錦のような生食用、中心ではなく、缶詰加工用の品種だったのです。ですから佐藤錦のように完熟させないで収穫して梅雨の雨が降り始める前に未熟なままで収穫するなどして工夫していました。
本来、缶詰加工用のさくらんぼは作業工程で傷がつかないように赤く完熟する前(黄色く皮と実が固い)に収穫していました。それを加工して着色させて仕上げる製造工程になっていたので、完熟という価値の追求がなかったのです。
いずれにしても、日本に導入された「さくらんぼ」は梅雨期の降雨量が少ないという地の利によって山形県に定着することになったとも考えられます。
雨除けハウスで完熟まで樹上に
現在のさくらんぼの栽培は、佐藤錦を中心にした完熟サクランボの生食用が中心になっています。かつてのような缶詰などの加工用サクランボは急激にはなくなりました。缶詰用のサクランボは未熟な状態で一定の大きさに育つと着色に関係なく収穫していました。
缶詰用では、サクランボ自体の食味については求められません。大きさが全てであり、味と色については缶詰の調味料と着色料が補ってくれるのですから問題なかった訳です。
生食用中心になったことで、サクランボは樹上で完熟まで待つことになります。ギリギリ大粒に赤くなるまで完熟させないと美味しくならないので販売出来なくなっています。
サクランボの実が割れるのは大粒になって完熟しているから割れるのです。今の生食中心の完熟サクランボは雨に濡れると、とても割れやすいのです。未熟でも収穫していた缶詰用とは比較にならないくらい実割れしやすいのです。
雨の日の作業が楽に
このように、さくらんぼの需要が缶詰用から生食用に移行していったことも、雨除けハウスの普及が高まった原因でもあるのです。
また、雨除けハウスができたことで、サクランボの管理作業も雨の中でも雨具なしに作業ができるようになりました。6月上旬に雨除けハウスをかけて、サクランボの実が色づき、大粒に育つのを見ながら、摘果作業や、葉摘みの大事な仕事もできるようになりました。
作業には何時も脚立が必要なので、雨の日には滑って危険が伴っていましたが、今は雨の日の葉摘み作業も問題ありません。鳥追い用に用意したラジオで放送を聴きながら作業することが出来ています。
もちろん、サクランボの忙しい作業は限りなく続きますが、雨の中でも作業は以前とは違って楽になり、今度は暑さ対策を考えるような変化が出てきています。
▼大粒さくらんぼ 仕上げは葉摘み作業
完熟さくらんぼ と雨除けハウス まとめ
山形のさくらんぼ産地、村山盆地は6月になると地域全体の景色が変わります。それは完熟サクランボ用の雨除けハウスにビニールがけられるからです。いちばん高い所で6.5m、そこに一斉にビニールが被覆されるのです。風のない早朝からはじめる大変な仕事なのですが、これによってサクランボ産地の景色が変わっていくのです。
ある人は神宮球場のヤクルトスワローズの観客席でビニール傘が一斉に開くときみたいだといいます。高い所から見下ろすと雨除けハウスのビニールが日光を反射して輝いて見えるのです。その頃に山形空港を利用するとこの雨除けハウスのビニールの広がりと美しい景色を見ることが出来るかもしれません。
生産者の知恵で開発されたという雨除けハウスですが、当初の目的は「梅雨の雨で完熟のサクランボが実割れをしないように」でしたが、今はギリギリまで樹上で完熟させて甘く大粒で真っ赤な完熟サクランボをお届けするための「美味しさを追求するための施設」になって来ています。
ですから、生産者は朝もぎした真っ赤な完熟サクランボをその日のうちにお届けしたいと懸命に収穫しているのです。