幕末に庄内藩士の娘が育種
明治維新のとき廃藩置県の施政により大泉村白山に帰農した庄内藩士、森屋藤十郎の娘初が、隣村の寺田から貰い受けた早生種の茶豆の種を畑に植えたところ、なかに晩生で味の良い豆があったため、その種を大切に保存して自分の畑で増やしていき、現在のだだちゃ豆のルーツとなった「藤十郎だだちゃ」を育てたという品種改良のお話があります。
旧大泉村、役場跡地にだだちゃ豆の記念碑に由来が刻まれて残っています。これによると「だだちゃ豆」の歴史は100年をこえることになります。このお話しから感じ取れるのは幕末の混乱と刀を捨て鍬を持った庄内藩士の苦労と、農業への新たに託す取組の真剣さがこのお話しから伝わってきます。
だだちゃ豆 江戸時代の在来種
はたしてだだちゃ豆の品種とはいくつあるのでしょうか。「だだちゃ豆の品種は何種類ありますか?」と訊かれても一言で正確な答えが説明できませません。
なぜかといえば元々は各生産者の家にそれぞれの味がありその家の屋号を取って「○○だだちゃ」といわれているものがあり、各生産者がそれぞれで独自に種を選抜してきました。たとえば「太助」さん家の「だだちゃ豆」というように呼んでいました。ですから生産者の数だけ独自の品種があったわけです。
「今年より美味しいだだちゃ豆を来年こそ作りたい」「他の家のだだちゃ豆より美味しく」するために自家採取で品種改良を続け美味しいだだちゃ豆の種を残してきました。それが伝統となって今でも家伝の種子をこれまで家伝の秘法として代々の当主達が自家採取して独自に品種改良に努めているのです。
つまりだだちゃ豆は自家採取する生産者の数だけ独自に選抜改良を繰り返していますから、その点から視ると其々に少しずつ品種ごとの違いが生まれています。そのために厳密にいうと微妙な違いのあるものが限りなくあります。生産者の数だけ品種としてあるというのが正解といえます。
白山だだちゃを本豆と呼ぶ
だだちゃ豆の地元白山(しらやま)【大泉地区】では晩生白山(ばんせいしらやま)のことを「本豆(ほんまめ)」とか「白山だだちゃ」とか呼びます。だだちゃ豆の品種のひとつなのですが、この豆がいちばん「だだちゃ豆」の特徴をしっかり表している。「だだちゃ豆らしいだだちゃ豆」と言うわけです。
「だだちゃ豆」の中でも特に晩生種の「白山」は本豆と呼ばれるように「だだちゃ豆」の特徴を良く表現しています。それは「豆のサヤのくびれが深く豆の膨らみが大きい」「表皮は茶色い産毛に覆われている」のが大きな特徴になります。
だだちゃ豆の生産者組織の認定
収穫の早い順から
1、小真木(こまぎ)
2、早生甘露(かんろ)
3、早生白山(わせしらやま)
4、白山(しらやま):本豆(ほんまめ)同じもの
5、晩生甘露(ばんせいかんろ)
6、平田
7、晩生白山
8、尾浦(おうら)
以前は10品種ありましたが今はこの8品種です。
8品種を認定してブランド化
このような、覚えられないほどの品種を整理統合していかないとお客さまに支持させないことや、競合産地にお株を奪われかねないという危機感もあります。だだちゃ豆ブランドに傷がつきますから一定のルールに則り生産者が組織を作って客観的な立場から解り易く整理されてきました。
そして現在は「だだちゃ豆」というネーミングが商標登録されておりだだちゃ豆を保護するために「鶴岡だだちゃ豆生産者組織連絡協議会」が8品種を正統な「だだちゃ豆」と認めています。正当な8品種に認定することでだだちゃ豆の品質向上とブランド化に努めています。
それは「小真木(こまぎ)」、「甘露(かんろ)」、「早生白山(わせしらやま)」、「白山(しらやま)」、「晩生甘露(ばんせいかんろ)」、「平田(ひらた)」、「晩生白山(ばんせいしらやま)」「尾浦(おうら)」の8品種です。
この美味しい「だだちゃ豆」がどのようにして世の中に生まれてきたのでしょうか。そこには庄内藩の時代のある女流育種家の存在がありました。
えだ豆王 白山だだちゃ豆とは|味の農園 (ajfarm.com)
だだちゃ豆の品種 まとめ
だだちゃ豆の品種、収穫時期、特徴を一覧でご覧になれます。生産者の数だけ品種があるといわれただだちゃ豆の品種を将来のために10品種に絞り込み、品質向上とブランディングに努めています。消費者、お買い求めいただくお客さまにわかり易さも提供しています。
この一覧をみながら今年はどの品種を選ぶのも楽しみとなります。だだちゃ豆の収穫時期による違い、早生晩成の違い、生産者による微妙な味の違いも楽しむことができるのではないでしょうか。
▼殿様が奨励し女流育種家が育てた「だだちゃ豆」の植え付け作業