さくらんぼは果実のこと
一般的に「桜桃(おうとう)」は果実を含めた樹全体を表し、「さくらんぼ」は桜桃になる果実を表します。諸説ありますが、「さくらんぼ」は、赤ん坊と同じように可愛らしい様子を表現したとも言われています。
「さくらんぼ坊や」というイメージもありますから、桜桃の木に成る実を「さくらんぼ」と愛らしさを込めて表現し始めたものと想像できます。山形の生産者の皆さんは、さくらんぼのことを通常「桜桃」「おうとう」「おっと」と呼ぶことが多いようです。桜桃の木を指して「おっとの木」などと通常呼んで親しんでいる訳です。
▼さくらんぼの剪定から収穫まで
さくらんぼ、桜桃の来歴
日本にさくらんぼが入ってきたのは、明治元年(1868年)です。ドイツ人のガルトネルが北海道にあった6本の桜桃を植えました。しかし、これらの品種は日本の風土には馴染まず継続できなかったようです。
さらに、明治8年、北海道開拓使が、アメリカから25種類の苗木を輸入し、これを東京で育成して全国に配りましたが、 東北や北海道を除いてはうまく実をならせることができませんでした。デリケートな桜桃は地の利を得られなかったといえます。しかし山形では気候や風土がこれらの品種には適応したことから定着し、やがてさくらんぼ産地へと発展していきます。
現在、活躍している日本で栽培されるあるさくらんぼの品種の基になるものの多くはこの時の輸入によるものから始まったとされています。これらの中から品種改良され、佐藤錦や紅秀峰が生まれました。
桜の木に付く実とさくらんぼ
桜の春にいろんな桜の樹をよく見るときがあると気づきますが、桜の中には小さな実のようなものを着ける種類もあります。このような桜の実を「サクラの子(坊や)」と呼んだのかもしれませんね。
このような桜の木も桜桃と同じく実を着ける場合がありますが、食べるほどの大きさにはならないのが一般的で、その小さな実は早々に落ちてしまいます。桜も別の品種が近くで同時に咲かないと種を着けることがないといわれます。桜の子孫を残すための種子としての役割はあるのではと思われます。
桜は江戸期に人が品種改良
さくらんぼとは違いますが、別の分類になるけどよく似ているのが桜ですね。日本ではヤマザクラ、オオヤマザクラ、カスミザクラ、オオシマザクラ、エドヒガン、チョウジザクラ、マメザクラ、タカネザクラ、ミヤマザクラ、クマノザクラの10種が基本にあります。その変種を合わせると100種以上の桜が日本には自生しており、沖縄には野生化したといわれるカンヒザクラがあります。
また、これらから育成された園芸品種は200以上もあり、一重咲きや華やかな八重咲き、枝垂れ咲きなど、品種によって多様な咲き姿や色合いを楽しむことができるのも魅力です。これらの多くは桜好きの江戸っ子が盛んに繰り出した江戸時代に育成、品種改良されたといわれます。代表品種ソメイヨシノ(染井吉野)も江戸末期に人の手によって育成されたものです。
ソメイヨシノの特徴
花色は蕾では萼等も含めて濃い赤に見えるが、咲き始めは淡紅色で、満開になると白色に近づく。 原種の一方であるエドヒガン系統と同じく満開時には花だけが密生して樹体全体を覆うが、エドヒガンよりも花が大きく、派手である。 エドヒガン系統の花が葉より先に咲く性質とオオシマザクラの大きくて整った花形を併せ持った品種である。
ソメイヨシノは自家不和合性ですが、なぜでしょうか。ソメイヨシノは、挿し木や接ぎ木でしか増やせないため、どの木も遺伝的に同じ性質を持ったクローンとなります。 そのため、気象条件が同じ地域では、一斉に開花するのです。 ソメイヨシノが挿し木や接ぎ木でしか増やせないのは自家不和合性があるためです。
ソメイヨシノの寿命は
青森県の弘前市の弘前公園には最長寿のソメイヨシノ が存在します。ソメイヨシノは病害虫に弱く、寿命は60~80年とされているが、このソメイヨシノをはじめ、弘前公園内には、樹齢100年を超えるソメイヨシノが300本以上残っています。これほど多くの長寿のソメイヨシノが1箇所に生育するところは他に類を見ないという事です。
ちなみに、桜桃の寿命は50~60年が一般的にはいわれます、百年を超える桜桃の木は県内には存在し、まだ活躍している木もあります。
また、ソメイヨシノは自家不和合性ですが、なぜでしょうか。ソメイヨシノは、挿し木や接ぎ木でしか増やせないため、どの木も遺伝的に同じ性質を持ったクローンとなります。 そのため、気象条件が同じ地域では、一斉に開花するのです。 ソメイヨシノが挿し木や接ぎ木でしか増やせないのは自家不和合性があるためです。
桜桃 ソメイヨシノの自家不和合性
さくらんぼは、同種や近縁種の花粉では受粉できなかったり、成長しても止まったりして繁殖できない性質があります。これを「自家不親和性」といいます。自家不和合性をもつ植物では、自分のおしべの花粉をめしべが受粉しても種子の形成や果肉の発達が起こらず、果実ができません。
同様に桜にも自家不和合性があります。ソメイヨシノどうしでめしべが受粉しても、種になる実が出来ません。ソメイヨシノがあちこちにたくさんあっても、その実を見ないのはこのためです。ごくまれにソメイヨシノの実を見つけることもありますが、これは近くにある別種の桜の花粉を受け取ったからと考えられます。
ただ、ソメイヨシノに実ができても小さくて苦みや酸味が強く、残念ながら食用になるものではありません。
ソメイヨシノは駒込が発祥
江戸時代の桜の存在感は今以上に高く、一番の人気の花でお花見が大衆化しました。ソメイヨシノは、江戸時代のおわりから明治時代にかけて駒込の植木屋が売り出したもので、奈良吉野山の山桜と区別するため、地名である染井(駒込村)「ソメイヨシノ」と呼ばれるようになりました。
江戸時代、駒込村で多くの植木屋が活躍していたことは、江戸時代の文献や浮世絵から知ることができます。その代表格は、江戸時代前期から植物栽培に携わった伊藤伊兵衛家です。代々伊兵衛を名乗る伊藤家は、17世紀初頭に、豊島郡上駒込村染井、現在の染井霊園の北東側あたりに居住し始めたとされています。
また、現在の駒込6丁目の西福寺は、江戸時代から染井の植木屋たちの菩提寺であり、氏神である染井稲荷神社と共に、地元の人たちの信仰を集めてきました。墓域にある伊藤伊兵衛の墓は、東京都指定史跡となっています。