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ラフランス 絶滅なぜ

ラフランス 山形ラフランス ラフランス人気

ラフランス不人気の原因


実はラフランスは故郷である原産地フランスでは病害虫に弱く手間がかかることが原因して、ほとんど見られない品種となっているということが伝えられています。生産者に選ばれない品種、ほとんど絶滅寸前状態になっているといわれています。絶滅危惧種の存在になってしまったのです。

 

そんな中、1991年に山形県の「JAてんどう」がラフランスの原産国であるフランスに「ラフランスの苗木を1000本」贈呈しました。

 

 これは洋なしラフランスの祖国であるラフランスに敬意と感謝の気持ちの表明でもあります。生まれ故郷フランスでのラフランス絶滅の危機という状況をラフランスに関わる両国の関係者が共同で打破したいという強い思いによるものでしょう。

 

洋なし生産 世界生産洋なし ラフランス

▼西洋なしの世界生産量 中国が圧倒している


 

ラフランス 原産地から山形県


ラ・フランスは1864年、フランスのクロード・ブランシュ氏が発見。そのおいしさに「わが国を代表するにふさわしい果物!」と賛美し、ラ・フランスの名前がついたという。

 

日本には1903年、山形県には大正初期に入ったものの、見た目の悪さや栽培の手間から、缶詰用のバートレットの受粉樹に利用されるだけでした。ラフランス100年間の下積み時代です。

 

しかし1970年頃から缶詰より生のフルーツの需要が高まり、生食のラフランスに注目が集まる。別名「バター・ペア」と呼ばれ、特有の芳香と、果汁がしたたるなめらかな肉質。当初は高価で少量が出回るだけだったが、グルメブームの到来で、一般にも広まりました。

 

ラフランス美味しい 完熟ラフランス

ラフランスは完熟すると甘い香りが立ち濃厚な食味が生まれる


 

ラフランス原産国に恩返し


ラフランスは19世紀半ばにフランスでフランスを代表する品種として大きな期待を込めて生まれた洋梨を代表する品種です。

 

フランスでのラフランスの衰退、絶滅は残念でなりませんが、日本でラフランスがバートレットの陰に100年置いた過去を思い返して、何とか生き延びて復活、再生の道を描いてほしいものです。

ラフランスは日本で「洋梨の女王」といわれるまでに登りつめ、100年経ったときに生まれ故郷に錦を飾る形で恩返しをしているかのようです。

 

本当の意味で国際交流というのはこのような末端の人々が働く現場から互いにリスぺクトするという形から始まるものかもしれませんね。

 

ラフランス 山形ラフランス ラフランス旬

ラフランスの収穫にはJAや市町村で決めた解禁日があります


 

日本の西洋梨の始まり


そもそも西洋なしは16世紀頃からヨーロッパのドイツ、イギリスで栽培されはじめ、18世紀のイギリスで洋梨の代表的品種、バートレットが発見されることになりました。これが明治初期、日本に入ってきたといわれています。日本の洋梨の始まりです。

 

ラフランスが山形県に移入される明治36年よりかなり早い時期に山形県では、古くからの和梨の産地である東置賜郡屋代村(現在の高畠町)で明治8年にバートレットの栽培が始められたとされる説もあります。

 

山形ラフランス 人気ラフランス 完熟ラフランス

長い間美味しさが認められず下積みだったラフランスに光が


 

ラフランスが辿ってきた道


日本にラフランスが渡ってきたのは明治36年といわれています。その後いつ頃に山形県に伝わったのか不明であるものの山形県には樹齢が100年ほどの樹があることから、100年以上たっているので明治36に日本に導入されて、短期間に山形県に入ってきたと考えられます。

 

この160年程の歴史を持つラフランスですが、フルーツの表舞台に立つようになったのは、実はここ10年ほど、それまでの90年間ラフランスは誰にも全く知られない存在で過ごしてきました。

 

きっとラフランスは忍耐力のある洋なしだと信じます。いつの日かフランスでも復活して嬉しい話題になることを祈るばかりです。

 

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