ラフランス生産量 栽培面積1位
山形県は、西洋なしの生産量が全国1位で全国の生産量の6割以上を占めています(令和2年)。特に、西洋なしの品種「ラ・フランス」は緻密な果肉、果汁の多さ、特有の芳香、そしておいしさから「果物の女王」と称されています。
山形県は全国の洋なし生産量は約1万9千トン余り、全国シェアで65%になり断トツの1位です。全国洋なし品種別作付け面積でもラフランスは洋なしの約65%の栽培面積を誇っています。
ラフランス100年の成功物語
ラフランスの生まれから苦労した下積み、そしてフランスで生まれ100年かけて辿ってきた山形でのラフランス成功物語をしてみたいと思います。
そんなことで、山形県には樹齢100年のラフランスの樹が今だに活躍していることから、歴史は古いが美味しさが認められない月日が100年程あったことは誰にも知られていません。
ラフランスは明治36年に日本に導入され、ほどなく山形県に入ってきたものと思われています。しかし、時代は缶詰用バートレットの黄金時代が100年近くあります。ラフランスはバートレットの縁の下で支える存在でした。
ラフランスの下積み時代
実は明治期に日本に導入された洋なしは当初、缶詰用として活躍していました。そのころの主力品種はバートレットというイギリス生まれのとても優秀な洋なしです。このバートレットの時代にラフランスはありましたが、缶詰用には採用されませんでした。
このバートレットを生産するための交配用の受粉樹として大きなバートレットの畑に20本に1本のラフランスという具合に細々と命をつないでいたのです。誰もラフランスという名前も知らない時代でした。そのころはほとんど食べられることもなく捨てられていたといいます。
ラフランス長い下積み遅咲き
ラフランスは陽の目を浴び注目されてからはまだそんなに年月がたっていません。
ラフランスは果汁たっぷりの果肉はとろけるようなまろやかな口当たりで西洋なしの中でも一番の人気洋梨の女王です。追熟の難しさや外見がよくないなどの理由で長い間注目されていませんでした。
当時は缶詰加工が主流で、西洋なしを生で食べる習慣が無かったことや、栽培に時間と手間がかかることから、あまり人気がありませんでした。しかし、グルメブームや栽培技術が定着してきたことにより、栽培が本格化し、今では広く一般的に入手できるようになりました。
通常、このような品種は絶滅しているのが定説になるのですが、長年の下積みから100年の下積み時代から明けて洋なしの女王としてゆるぎない活躍を見るに至ったのです。
昭和60年台にようやく生食用ラフランスの道開けて一躍脚光を浴びるようになりました。
ラフランス 産地やまがた
山形県は、西洋なしの生産量がダントツ全国1位で全国の生産量の6割以上を占めています(令和2年)。特に、西洋なしの品種「ラ・フランス」は緻密な果肉、果汁の多さ、特有の芳香、そしておいしさから「果物の女王」と称されています。
ラフランスの歴史は古く、1864年にフランスのクロード・ブランシュ氏が発見し、そのおいしさに「我が国を代表するにふさわしい果実」と賛美したことから、「ラ・フランス」の名前がついたと言われていますが日本には1903年に、山形県には大正初期に入りました。
▼ラフランスの美味しい食べ方
▼ラフランスの収穫風景