丹波の黒豆 煮豆に美味しさ
丹波黒は枝豆としてよりもお正月の煮豆の黒豆としての存在のほうが有名な黒豆です。なんといっても煮豆の美味しさとそのふっくらした柔らかな食感、そして豆の大きさに存在感があります。
だだちゃ豆はプレミアムな枝豆として全国的に知られるようになりましたが、その違いとは何でしょうか。一緒に見ていきましょう。丹波黒は丹波黒豆枝豆としてよりは、お正月に食べる黒豆の煮物としてのほうが全国的に知られている黒大豆といえます。黒大豆は黒豆と同じ意味で、黒い大豆です。
他方、だだちゃ豆は枝豆の一種であり、比べるとすれば丹波黒豆枝豆との比較がわかり易いかもしれません。
漆黒の丹波黒はその美しさですね。煮豆にすると、皮が破れにくくよく膨らみ、漆黒の色つやと広がる芳香、そしてそのふっくらした食感により、極上の食味となります。その大きさや美しい姿、美味しさから、最近では洋菓子をはじめ様々なお菓子にも用途が広がっています。
だだちゃ豆の旨味成分
山形県でエダマメといえば、すでに全国的に知られている、庄内地方特産の枝豆王「だだちゃ豆」を抜きにしては語れません。『日本一おいしく、日本一高価な枝豆』プレミアム枝豆と評価されるだだちゃ豆です。
西の横綱が丹波の黒豆なら東の横綱だだちゃ豆といえるかもしれません。
ゆで上がるころから甘い香りが漂い、食べれば栗のようにホクホクし、口の中にうまみが広がります。分析の結果、うまみ成分であるアミノ酸の一種「アラニン」が、普通の枝豆より多く含まれていることが長年の研究で明らかにされ話題になりました。
もちろん、丹波黒にもうまみ成分が含まれている。グルタミン酸,スレオニン,アラニン の順に多く含まれグルタミン酸はアラニンの約 2 倍含まれていたという検査結果もあります。
丹波黒豆枝豆は10月が旬
また、「莢(さや)」が若い時期(10月)に収穫するエダマメも丹波黒大豆枝豆として多くのファンがいます。豊かなボリューム感と深いコク、独特の風味により、非常に人気があります。黒大豆枝豆は大きな鞘の10月の最晩成の枝豆として存在感があります。
ちなみに、だだちゃ豆は8月から9月上旬が旬です。そしてだだちゃ豆は大豆として、煮豆にして食べることはなく、納豆やお豆腐にした商品はあるようです。
まただだちゃ豆をすりつぶして作る「ずんだ」は山形県や宮城県ではお団子やお餅にしてよく食べます。大人気です。しかし、枝豆状態で調理しますので、大豆を加工したものとは違います。だだちゃ豆のずんだは特に高価で貴重な存在です。
丹波黒の大きさの秘密
丹波黒の第一の特長はその大きさです。大豆の大きさは百粒の重さで比較しますが、一般の普通大豆が30グラム程度であるのに比べ、丹波黒は約80グラム!と、世界でも類のない大粒の黒大豆です。ですから煮豆にしたときに、大きくて食べがいがあり、見た目も立派です。そこは、だだちゃ豆にはない魅力です。
丹波黒豆枝豆の収穫は10月、その後乾燥させて丹波の黒大豆にするには2か月ほどかかります。やはり、手間暇かけないとうまくできない作物です。
だだちゃ豆は生産者が品種改良
だだちゃ豆は秋の遅くまで完熟させて大豆にはしませんが、種子に残す分は完熟して乾燥させて大豆状態にして毎年良い種を自家採取しています。
これは本当に大事なところで、だだちゃ豆農家が代々、受け継がれて自家採取して良い豆だけを残して選抜淘汰をくりかえしています。だだちゃ豆の美味しさの秘密が垣間見れるところです。
伝統作物の美味しさの秘密はこのような長年の地道な努力が隠れています。それは、庄内藩の殿さまがだだちゃ豆作りを奨励するために農家それぞれを美味しいだだちゃ豆作りのレベルを高めるために競わせてきた環境がそこにはあったこともあるようです。
丹波黒の260年の歴史から
丹波黒の歴史黒豆はずっと昔から今の兵庫県の篠山で作られてきました。 江戸時代、篠山藩主・青山忠講が、時の将軍・徳川吉宗に丹波の黒豆を献上したという覚え書きがあります。 その豆は大きくて丸く、たいへんよい味であると評判になったといいます。
約260年前の江戸時代に篠山藩の 青山の殿様 が、時の将軍 徳川吉宗に篠山特産の 黒豆を送った というの由来とされています。
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だだちゃ豆の歴史から
一方、だだちゃ豆の歴史は江戸期に始まり、庄内藩の藩主酒井家の殿さまが枝豆を城下の産業としてだだちゃ豆を奨励したという説があります。水稲単作地帯の鶴岡城下で特産品の開発を進めた結果、だだちゃ豆が品種名にもなっている白山地区(大泉地区)で土壌が豆づくりに合って美味しい枝豆が出来たことに起因しています。
その後、明治になって当時の大泉村白山に帰農した士族、森屋藤十郎の娘初が、隣村の寺田から貰い受けた早生種の茶豆の種を畑に植えたところ、なかに晩生で味の良い豆があったため、その種を大切に保存して自分の畑で増やしていき、現在のだだちゃ豆のルーツとなった「藤十郎だだちゃ」を育てたという品種改良のお話があります。
この一連のいきさつをまとめた物語が、大泉地区の旧大泉村、役場跡地にだだちゃ豆の記念碑に由来として刻まれて残っています。
▼だだちゃ豆ごはんレシピ