ふじ世界に広がる人気の品種
ふじりんごは「国光(こっこう)」と「デリシャス」を交配し育成された品種です。また1962年に品種登録されて以来日本で最も沢山作らてるようになったリンゴです。
その人気は海外でも広がり、中国やアメリカなど各国で作られるようになり、世界でも最も沢山生産されているといわれています。
その人気の秘密はまさに「味」にあること、「ふじりんご」蜜入りリンゴの美味しさは多くの人の認めるところで、加えてシャリ感のあるパリパリとした刺激的な口の中での歯ごたえ食感は「世界一」といわれても頷けるところではないでしょうか。
ふじは2001年世界生産1位
りんごの全国生産量は73.5万トンその内約半分の37.5万トンが「ふじ」となっています。全体の約半分以上が「ふじ」「サンふじ」ということになります。また日本で誕生したリンゴの品種「ふじ」が世界各国で栽培されるようになり、2001年には世界のリンゴ生産量のトップになっていたことが明らかになりました。
すでに世界のリンゴ生産量の20%を占める存在になったということです。 国際園芸学会情報誌に掲載された論文で明らかになったとして、農業生物研究機構・果樹研究所が公表しました。
国内ではすでにリンゴ生産量の55%を占める。海外ではこの20年で急速に生産が増え、米国、中国をはじめ南半球でも広く栽培されていると言われます。この広がり方はふじりんごが世界で美味しさを認められたことによるものと推測されます。
ふじの親となる国光の由来
ふじりんごの親となる国光(こっこう)は米国生まれで1871(明治4)年に開拓使によって導入された品種です。明治維新によって西洋文化が急激に輸入される中、海外の農産品の輸入と西洋の品種も積極的に持ち込まれ、全国に広がり果物にあった土地柄のところが産地として形成されていきます。
導入当初は英語名だったこともあり「雪の下」「晩成子」など地域によって様々な名称で呼ばれていましたが、明治政府がようやく安定期となる1900(明治33)年に「国光」に統一されました。
国光 は、日本の風土に適していたことはもちろんですが、冷蔵施設が不十分だった時代に保存性が良かったことは実の締りがよい固い実の品種だったことが大きな魅力として普及、浸透しましていく要因に上げられます。
明治、大正、昭和にかけて基幹品種として、また大衆まで浸透した、りんごの歴史を紅玉とともに100年間にわたって支えてきた実績のある品種といえます。
ふじのもう片方親 デリシャス
原型のデリシャスは、現在、存在はしているものの、流通していないようです。デリシャスの枝変わりとしては「スターキングデリシャス」が有名です。
スターキングデリシャスが日本に来たのは1929(昭和4)年に導入されましたが、当時は人気が出ず栽培が進まなかったようです。
ところが、その後1960(昭和35)年頃に千疋屋がこのリンゴの美味しさを見良いだし販売に力を入れた事などから人気に火が付きました。
国内の果物店でこのリンゴを売っていないところは無いくらいにまで広く一般に親しまれるまでになりこの時代を一世風靡しました。
それまでの人気品種の紅玉や国光になない「真っ赤で甘いリンゴ」という印象のリンゴです。今中高年の方には懐かしいリンゴではないでしょうか。
ふじの誕生は昭和中期1962年
ふじりんごの大きさは300~400gほどで、果汁が豊富なうえ味のバランスが良く甘味と香りはしっかりとしています。歯触りもシャキシャキと心地よく人気が高いリンゴです。
その能力の高さは何よりも「味」にあること、「ふじ」蜜入りリンゴの美味しさは多くの人の認めるところで、加えてパリパリ、シャリシャリと刺激的な口の中での食感は食べ飽きを感じさせることがないのです。
国光の甘さ、スターキングデリシャスの香り高い甘さ、国光の実のしまりと貯蔵性の良さがまさに長所を引き継いでいます。
しかし、いかに品種が優秀であろうとも、それだけで世に広がるものでないことは歴史が知るところです。
この「ふじ」には人生を賭けて栽培技術を完成させて普及した人物が登場します。
▼生産量世界一を誇る、リンゴの世界ブランド「ふじ」。昭和30年、青森県の農林省園芸試験所東北支場でたび重なる品種交配の末、開発された。輸入農産物の自由化がうわさされる中、青森のリンゴ農家の将来を託したリンゴだった。しかし、「ふじ」の色づきは悪く、すぐに果実が割れる欠点があった。その時、一人の農家が立ち上がる。リンゴ作りの名人・斉藤昌美だった。青森の農家たちの壮絶なドラマ。
参考:
NHKプロジェクトX「悲願のリンゴ 伝説の職人 津軽に立つ」
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000243001230000.html
ふじの育ての親 斉藤昌美氏
「ふじ」の食味は優れているものの、着色が悪いなどの理由から青森県では普及に踏み切れずにいたところのお話です。
「ふじ」の素晴らしい素質を見抜いていた生産者がいました。その「ふじ」りんごを栽培技術の確立によって一人前に育てたのが齋藤昌美という人です。ふじの類い稀なその可能性に賭けて普及にも貢献していきました。
多くのりんご農家の人々から「りんごの神様」と呼ばれていました。高度の剪定技術を確立し、青森県内、県外を問わず多くの求める生産者を指導して「ふじ」の育成普及に努めました。
「ふじ」に否定的な見方が多かった頃ですから多く栽培されていない頃に、齋藤昌美氏はいち早くその優位性を見抜き、「ふじりんご」の栽培に力を入れ、苦労に苦労を重ね命をかけて苦節10年、ついに独自の栽培方法を確立したのです。
だんだんと「ふじりんご」の名が知れ渡ってくると、全国のリンゴ農家の人たちもふじを栽培したいとやって来て、教えを乞うようなことになっていったのです。
そして「ふじ」を栽培したいと願い出る生産者に対し、自分が育てた「ふじ」の木から枝を分け与えてあげました。これが「ふじ」が広まるきっかけとなったのです。
その後「ふじ」の食味の良さが消費者に受け入れられ、今では世界中で最も多く栽培される品種となっているのです。
弘前市のりんご公園には、齋藤昌美氏が多くの生産者に枝を分け与えた木である『準原木』を植栽しています。
世界一の品種ふじとは まとめ
ふじりんごは「国光(こっこう)」と「デリシャス」を交配し育成された品種です。また1962年に品種登録されて以来日本で最も沢山作らてるようになったリンゴ。その人気の秘密はまさに実力にありということです。何よりも「味」にあること、「ふじ」蜜入りリンゴの美味しさは多くの人の認めるところで、加えてパリパリと刺激的な口の中での食感は食べ飽きを感じさせることがないのです。
名実ともに「世界一」といわれても頷けるところです。そして、その実力は新品種として生まれた「ふじ」という品種にあるかといえばそうではありません。「ふじ」の素晴らしい素質を見抜いていた生産者がいました。その「ふじ」りんごの栽培技術の確立によって品種の可能性を高く育てたのがレジェンドと云われた齋藤昌美という人です。
「ふじ」は生まれたときから青森県では誰も手を付けられない非常に難しい品種でまともに栽培できる人がいないほど、ろくろくまともな果実に育つことが無いほどの未知の品種でした。
「ふじ」に否定的な見方が多かった頃に、齋藤昌美氏はいち早くその優位性を見抜き、「ふじ」の栽培に力を入れ栽培方法を確立したのです。そして多くの生産者に隠すことなく自分で育てた苗を配り栽培方法まで伝え、指導していきました。
この指導者がいたからこそ「ふじ」という品種以上にふじの普及が広がり「ふじ」が世界一の品種と褒め称えられる原動力となったのです。そして他県から指導を仰ぐ人にも分け隔てなく指導して日本各地のリンゴ産地が育ち「ふじ」サンふじは斉藤昌美氏の指導力から始まっているといえます。
▼ふじリンゴの葉摘み作業 美味しいふじを仕上げる